Linescape #3
この作品は、どこからでも現れうる風景であり、
ただ線の偶然性だけによって立ち上がっている。
空豆アザにとって線は、輪郭を与えるための記号ではなく、
形が生まれる以前の揺らいだ状態として存在する。
幼少期に砂場で無意識に引いた線は、
意図に先立って身体が世界に触れた痕跡として現在の制作を導いている。
線は計画ではなく、速度や密度のわずかなずれのなかで
形になろうとする力と、形から離れようとする力のあいだを往復し、
その往復が一時的な像をふと浮かび上がらせる。
ここでは線は何かを説明するためではなく、
ただ「生まれつつあるもの(Linescape)」として留まり続ける。